広島旅行2日目、被爆建物巡り(爆心地)

爆心地とは500メートル圏内をいう
いつかのNHKスペシャルではそう定義して番組を進めていました
即死が90%以上、その後も後遺症により亡くなっていく生存者0地帯

爆心地から500m圏内の原爆投下時の衝撃にもその後の火災からも建物が失われず、焼け野原の広島で復興の礎となった鉄筋コンクリートを中心に見て回ります
*()は爆心地からの距離

先ずは日本銀行広島支店(380m)

堅牢な造りと隣の木造銀行を建物疎開、屋上の盛土などの対策、開店前で1、2階の鎧戸が閉まっていたことなど、様々な要因が重なり、近距離でありながらも複数の生存者を出した建物です。
と言っても、その瞬間柱の影に入っていたとか、たった数㎝の偶然が生死を分けたのですが。

窓枠は全て爆風により飛ばされたとのこと。2.7キロ離れていた被服支廠の鉄の扉が歪んでいることを考えれば、その威力や凄まじきです。

地下金庫
余剰金を出来るだけ地下金庫に集めていたそうだ

被爆2日後の8月8日には銀行業務を再開
6日の午後には似田島、江田島などから軍の救援部隊が駆けつけていたので、その手も借りたのかもしれない
救援隊は二次被爆により苦しむこととなります

展示をリニューアルした平和記念資料館

訪れたかったのですが、時間もないので通り過ぎます

最近発見された被爆建物
本川公衆便所(480m)

長らく被爆建物と認識されていなかったが、2015年市民団体が米軍の撮影した映像を観て気づき調査、登録された
トイレって盲点だよねと思うエピソード

本川国民学校(410m)

生存者生徒1人、教師1人
2018年に亡くなられた生徒の居森清子さんが後遺症と闘いながら語り部として活動されていました

レストハウス(170m)

平和公園内唯一残った被爆建物は改修中でした。地下にたまたま降りていた人が唯一の生存者です。
地下は被爆当時のまま残されているそうなので、いつか訪れたいです

原爆ドーム(160m)

言わずもがなな象徴する建物
観て回った被爆建物は戦後も活用されていた中、廃墟です

爆心地の被爆建物は徒歩で回りましたが、500m圏内って広いんですよね
銀行街から商店街、学校
あらゆるものが一瞬でなくなるものなのか
2度あることは…
その時、爆心地は何mに定義されるのでしょうか

とりあえず広島旅行は終わりです


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