九州旅行3日目④、下関砲台
関門トンネルを抜けると下関側は
大砲がお出迎え
ドーン!
どなたかコインを入れてくれたおかげで音と煙の演出を楽しめました。下関市が観光の一環として時間決めて鳴らすものかと思ってました。
撮らせてくれてありがとうございます。
長州砲
小さいな〜
原寸大のレプリカだそうだが
下関戦争とは
バリバリの外国嫌い攘夷派だった長州藩が、ぶっ飛ばせ〜と米英仏蘭に喧嘩(戦争)をふっかけ、大砲を飛ばしたものの、ボロボロにされて、外国の文明すご!と開眼。開国派へ、プラス幕府も倒しとこうかと、180度方針転換をした戦争です。
長州藩、その考え方嫌いじゃないです(笑)
認めることで前進あります。
ところで、友好国であるのはずのオランダが何で加わってるの?と思ったら、オランダは巻き込み砲撃されたようです。
お、お痛はいけないよ?長州!!
お出迎えしてくれた立派な大砲
と言っても実物の20分の1
日本の最新技術は海外の最新技術に太刀打ちできるわけもなく…
長州としては、日本の最先端をぶち込んだはず、地形でも有利だったはず、なんですけどね。
それこそ、圧倒的な火力の差だったのでしょう。
ところで以前、朝鮮族(日本在住の中国人だが、民族的には朝鮮)とお話しした時
私はよく本を読みます。日本の歴史は九州から始まりました。もっと勉強したい。
とおっしゃってて
なるほどねー、邪馬台国は九州説あるものね。
と納得していたら幕末から明治にかけてのお話でした(笑)
確かに国の概念?ができたのは幕末なんだよなと、納得しました。外敵が来て右往左往して、そもそも国とは?となったんだろうな。
でもでも中国の国としての概念もその頃でしょ?
どうなんでしょうか?中国人に賛同してもらえるのか?4000年って言われる?
改めて、幕末のゴタゴタ感がすごいなと感じました。
薩摩、長州が外国相手に戦争とは、今で言う地方の県、都市が列強相手に喧嘩をふっかけるわけですから。
えっーと、幕府って?
将軍は??
あっ!征夷大将軍か!!
で明治になって、軍隊を作って、学校作って日本国の日本人とは。となったのか〜。
へー。
色々行って見て聞いてみるもんだなとすっかり感心したわけです。
ぷかぷかお船
本当は下関側はほどほどにして、門司に戻るはずだったのですが、いやいや、せっかくだから。
下関側の展望台で海峡を臨んでみよう!と思い…
また、続きます。
ええ、何度でも
まだ、午前です。